高度経済成長期!海外では難民と呼ばれる貧困市民が多かった!

戦後復興を見事に成功させ、高度経済成長期に入った日本は、まさしく戦争時代では考えられないような時代を迎えました。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などは何処の家庭でもあって当たり前となり、主婦にとってはいちいち手でやらなくても電化製品がスイッチ1つで動いてくれるので、随分主婦業が楽になりました。

テレビも昭和40年代前半は白黒が多かったのに、50年代に入ると、カラーテレビが定着し、家族そろって娯楽番組を見られるようになるなど、本当に戦争時代があったのか?と思えるくらいになりました。

戦争で悲惨な目にあった日本ではありますが、そんな高度経済成長期に海外では難民と呼ばれる貧困市民が沢山いました。よく聞いたのが「ベトナム難民」です。これはベトナム戦争が元で多く出た犠牲者でもあるのです。

そもそもベトナム戦争はいつ始まったのでしょうか?調べてみると昭和30年11月に始まり、昭和50年4月に終わった戦争です。20年間も戦後日本に海外でもまだ戦争が起こっていたわけです。

正式名は「第二次インドシナ戦争」と呼ばれています。この戦争はアメリカの資本主義とソビエトの共産主義による対立戦争です。やはり戦争が起これば、必ずと言っていいほど一般市民に犠牲が出ます。戦争は結局は意見の合わない国同士の喧嘩には過ぎませんので、兵士としては、敵をたたきのめすまで戦うことしか頭にないので、全然市民のことなど考えてはいません。

この長い戦争で、亡くなった一般市民は約300万人、兵士でも約100万人と推定されています。日本人犠牲者より多いってことが分かります。

ベトナム戦争の終わり頃に、少しでも戦争から逃れようとして多くの市民が難民としてあちこちなだれこんでいきました。これがベトナム難民と言われます。

ですがこのベトナム戦争で、犠牲者の中で最も有名なのが双子の兄弟「べトちゃん・ドクちゃん」です。この兄弟は母親のお腹に居た時に、アメリカ兵のまいた枯葉剤が原因で、その水を母親が飲んでしまい、2人の体はくっついたままで産まれたという、なんとも悲惨なことで超有名です。

ベトナム戦争が引き起こしたこの悲しい双子の難民の子供は、日本でも大きく報道され、このままでは2人の命の保証が出来ないということで、日本に迎え入れて分離させる手術を行いました。

しかし分離手術こそは成功したものの、兄のドクちゃんは重い脳障害が残り、残念ながら亡くなってしまいました。

ですが弟のべトちゃんは、日本から義足と車いすを提供してもらい、一般女性と結婚しました。将来は障害があっても働ける会社を立ち上げる夢を持っていました。そしてべトちゃんはその後男女の双子の子供を持つお父さんになりました。

ベトナム戦争が原因で、体がくっついてしまったまま産まれたこの双子の兄弟は、結局重い障害者として生きて行く羽目になり、その上両親は離婚、兄のドクちゃんは亡くなってしまう悲しい結果を招いてしまいました。

分離手術をしたお蔭で、1人残されたべトちゃんは、現在は2児の父親として日々頑張っています。例え歩けなくても。

本当に戦争程恐ろしいものはありません。海外でもこういう事例があるのですから、難民問題もなかなか解決の糸口が見つからないのがよく分かります。

その間、日本はすっかり世の中平和になっていました。