昭和40年代から50年代は、日本人の日常生活はまさしくアナログ式そのものだったと言えます。今の様にデジタル化する前の時代ですので、懐かしく思います。
テレビが各家庭にあるのが当たり前になっても、やはり1台が精一杯でした。ですから家族全員が集まってテレビを見る習慣は毎日の様にありました。新聞のテレビ欄を見て、見たい番組が家族と同じであれば問題はないのですが、やはりアニメやドラマなど各自見たいものが同じ時間に重なると「チャンネル争い」と言った言葉が流行しました。
父親はプロ野球中継を見たいし、子供はアニメが見たい!そして母親はドラマが見たいなど本当に好きな番組がハッキリ分かれてくると、好きな番組の優先順位はどうなってくるのかが、当時では家族内で問題になったものです。
私の子供時代は、好きな番組を見るためにもう1台新しくテレビを買うことなど、親からして見れば凄く贅沢扱いされて、受け入れてはもらえませんでした。それに昔のテレビってまだまだ価格が高かったのです。
ですから同級生の家で、自分の部屋にテレビがある話を聞かされると羨ましく思ってたのです。
アナログテレビの昔のチャンネルは、リモコンなんてありませんでしたから、カチカチ回すものでした。非常に懐かしいです。それに夜中は放送などやってませんでしたから、テレビを付ければ、画面が出ずに、シャーシャー波音みたいなものしか出ていませんでした。
ラジオにしてもそうです。ラジオ付きカセット=通称:ラジカセですが、こちらは中学~高校の頃頻繁に使っていました。おこずかいでアナログレコードが買えなかったので、カセットテープを買ってはラジオから流れる好きな歌手の歌謡曲を録音して楽しんでいたのです。
同級生と情報交換して、ああいうの録音したとかこういうのを録音したとかで話題が多かったです。カセットテープの付属カードには手書きで歌手名や歌の題目で一杯かきつくされていました。
まさしくアナログ式にドップリした生活をしていました。(笑)私の子供時代は何もかもがアナログでした。電話だってダイヤル式の黒電話。あれは結局NTTから借りていたのだと母に教えてもらいました。
ですがあの電話の鳴るけたたましい音は、耳が痛くなるくらいでした。それに近所の電話の鳴る音もよく聞こえ、本当にダイヤル式黒電話ってリーンリーンの着信音がいかにうるさかったかってことが分かりました。
洗濯機でも殆どの家庭が二層式で、洗濯物を入れて、洗剤を入れ、洗う分数を決めてダイヤルを回すのが特徴でした。止まれば、いちいち洗濯物を脱水気に移してこれまたダイヤルを回す。現代の生活ではとても考えられません。
特に冬なんかは、すすぎの後の始末がとても大変でした。水が冷たくて、ちぎれそうになったくらいに痛い思いもしました。それだけじゃなく、すすぎをしてたことを忘れてしまうと、水道水を出しっぱなしにする、水道代の無駄をしていたことも覚えています。
テレビのチャンネル争い、ラジカセの娯楽、黒電話、二層式の洗濯機など、毎日当たり前の様になってたあの生活習慣は、もう戦後の貧困時代をすっかり忘れさせることとなりました。
ですから両親が「お前らは戦後生まれだから、物のない貧乏を全然知らないで育ってきて~!!」とよく言われたものです。
確かに両親の言ってた事は正解でした。その後の日本はますます発展していくばかりでしたから。